ある人に勧められて、
花束みたいな恋をしたという映画を見てみた。
『花束みたいな恋をした』あらすじ
終電を逃したことをきっかけに知り合った、麦と絹。
好きな音楽や映画の趣味が合うし、履いている靴もたまたま一緒。
話しているととても気が合うから気が付くと時間がたっていて、
また会いたい、もっと一緒にいたいと思い、
付き合い始めた二人。
いつも一緒で、笑顔が絶えなかったのに、
時がたつにつて、次第にあのころの気持ちが薄れていってしまった。
一緒にいるのにすれ違い、
あんなに一緒だった価値観が次第にずれていってしまった。
そして次第に
このまま一緒にいることに意味を見出せなくなってしまった。
我慢をした瞬間にその関係性が終わる(『花束みたいな恋をした』ネタバレ感想)
この物語を見終わった瞬間、
とにかくもの悲しい気持ちになりました。
それでも、悲しいだけで終わらない不思議な物語でした。
お互いの考え方や、趣味、価値観があそこまで合致しながらも
「すれ違い」が起こってしまったのはなぜだろう。
これは結婚した夫婦が「価値観の違い」を理由に分かれているのにも
近しいものがあるんじゃないかと思う。
『花束みたいな恋をした』で、二人がすれ違い始めたきっかけって
なんだろう?と、
婚活を考えている私は、突き詰めたくなっちゃうんです(笑)
だって、あんなに気が合う二人なのに、おかしいですよね??
そこで私が思いついた結論は
「どちらかが我慢を始めた瞬間に、関係性が終わり始める」
ということだと思う。
突然キレられた経験から考察する『花束みたいな恋をした』のすれ違いの原因
話は変わりますが、
私は高校時代に剣道部に所属していました。
私のクラスで剣道部に所属していたのは私一人、
あとは別のクラスの子がほとんどでした。
バイトもしていたこともあり、夏の合宿には参加しない予定だったのですが、
部長に、しきりに誘われたので、
合宿に参加することにしました。
部屋割りは、ほとんどが同じクラスの子で固まり、
私とA子は、それぞれ、クラスで剣道部員が一人しかいなく、
必然的に同室となりました。
そしてなぜか部長も同室になりました。
はじめは、部長の所属していたクラスは
剣道部の人数が多く、たまたま一人だけ別の部屋になったのかな?
くらいの気持ちでした。
そして合宿3日後、突然部長がキレ始めました。
理由は「私は本当は同じクラスのこと同室になりたかった」というもの。
「本当は同じクラスの子と同室になりたかった」
「私が我慢してあなたたちと同室になってあげた」
「朝食もなんであなたたちと取らないといけないの?」
正直私とA子にとっては何を言われているのか理解できず、
私とA子にしてみれば、
別に部長と同室でありたいと望んだことはなく、
朝食も、別にとればいいのにくらいの気持ちでした。
ただ、部長の言い分に
「かわいそうなあなたたちのために私が犠牲になってあげた」
と言われているように聞こえ、
ひどくみじめに思えましたし、大きなお世話だとも思いました。
それ以降、私は部長に対して、
必要以上に接することはなくなりました。
それまで仲は良かったのですが、
部長が話しかけてきても、
「哀れみからはなしかけてくるんじゃねぇよ」
と思えてなりませんでした。
ただ、それと同時に、
人間関係が破綻する原因は、
「どちらかが我慢をした瞬間に終わる」と学びました。
二人のために自分が犠牲になっていると思った瞬間に、相手に対して失礼になる(『花束みたいな恋をした』考察)
『花束みたいな恋をした』の大きな転換点は、
二人が就職活動を始めたところから変わってくる。
今まで夢に向かって突き進んでいたのに、
その道で限界が見え始めていた。
そんな中で外的要因から、就職を決意するけど、
それもうまくいかない。
そしてやっと就職先が決まって、
仕事が忙しくなってくると、
過去の夢に向かっていた自分が置いてけぼりになる。
仕事で辛いことがあっても、
やっと決まった就職先を辞めることはできない。
「二人の未来のために(相手のために)我慢して働こう」
こう思い始めた時点で、
おそらく二人の関係が決定的なものになったと思います。
どちらかが「犠牲になっている」と感じていたとして、
それが長続きはしません。
相手が我慢しない選択をしようとしたときに
「自分はこんなに我慢しているのに!!」
と怒りが爆発してしまうんです。
でも、方や「そんなにつらいなら我慢しなくていい」と思う。
これはまさに、
先に述べた私と部長のようです。
部長のように「哀れみや善意の押し付け」というほどではないですが、
結果的に同じことをしてしまっているのです。
徐々に距離が開いていく表現のうまさ(『花束みたいな恋をした』役者と演出のすごさ)
『花束みたいな恋をした』のすごいと思う点は、
決定的に「あの瞬間」に二人が終焉に向かっていったことがわかるのに、
もともと二人がとても気が合って、
長いこと一緒に暮らしていて、一緒にいるのが当たり前になってしまっているため、
一緒にいることが楽しいと感じながらも、
同時に前とは違うところに違和感があったり、
少しずつお互いの距離が開いていっている様子が
もどかしくも、よく伝わってくるところです。
これは、役者さんもすごいですが、
演出や脚本もすごいと思います。
とにかくすべてが合致していないと、
ここまで丁寧に描き切れないと思います。
二人はお互いが大切で、
すごく気が合って、一緒にいるのが当たり前で、
それでも決定的に何かが終わってしまった。
でも、二人が一緒に過ごした時間は
とても素晴らしいもので、お互いにとっていい思い出で、
忘れられない日々だったのだと、思わせてくれます。
花束みたいな恋だったからこそ、もの悲しい(『花束みたいな恋をした』感想)
とても素敵な日々を過ごし、
お互いに憎みあっての結果ではなかったからこそ、
この物語が素敵でありながらも、悲しい話になっているのだと思う。
この物語を見た後、私は心の底から後悔した。
それはこの物語を一人で見ていたからだ。
見終わった後の、悲しさや、さみしさを一人で味わってしまった。
あまりにも寂しくて、ここにこうして書き始めてしまった。
ちなみに、この物語を私に教えてくれた人は、
一人でこの物語を見たと思う。
そして余りの悲しさと寂しさに、
「ラストが何とも言えないんだけど、悪い話ではなかったから、時間があったら見てみて」
と道連れにしたんだとおもう(笑)
だって、『花束みたいな恋をした』を見た後に味わう
話さや、むなしさや、さみしさを、
一人では抱えきれずに、誰かに話してしまいたくなるからだ。
この感想を読んで、
さらなる被害者が生まれたとしても、苦情は受け付けません(笑)